今回も熊本の旅について書きます。間があいてしまいましたがどうぞよろしく。
第15回 文学ひとり旅・熊本3

 次はこの旅の目的の一つである、徳富蘇峰、盧花兄弟の記念園です。
ここは旧家と大江義塾跡、記念館から成ります。
 
 弟の盧花は小説『不如帰』などで有名なのでここでの説明は省きます。

 熊本時代、兄蘇峰は私塾、大江義塾をつくり塾生達と雑誌をはじめ、自由民権に燃えていました。(花立三郎著『徳富蘇峰と大江義塾』に詳しい。蘇峰の若い頃の読書傾向、塾ではどういう勉強をしていたかが書かれていて興味深い。)その頃の写真が飾ってありましたが、よれよれの着物、髪はボサボサだが眼光鋭く革命のにおいがして、若い頃は格好よかったんですね。今まで翁みたいな写真しか見た事なかったのです。

 ところで昔の作家の写真、ほとんどが晩年のものですよね。いつも思うのですが、個々の顔のベストの時期にしてはどうかと。夭折した人は別ですが、小林秀雄は50代後半〜60代前半、宇野千代はもっと若い頃のほうがいいんじゃないか、でも川端康成はやはり晩年が良い、とかいろいろある訳です。

 蘇峰は民友社を興し、雑誌『国民之友』、新聞『国民新聞』(文学も充実させ、多くの作家の小説を載せた)をつくり、ジャーナリストとして活躍します。また、『吉田松陰』についても書き、35年にもわたるライフワークと言える『近世日本国民史』は百巻にも及びます。日清戦争以後は、国家のアジア侵略に賛同、官僚や軍閥などと繋がり、桂内閣の提灯持と呼ばれ、あの宮武外骨も「日露戦争前に首でも縊ってクタバレばよかッた」と激しく非難しており、世間から冷遇されることになります。蘇峰が書物について書いた本を読みましたが、本や勉学への愛情が込められており、何よりも漢学の大事さを説いていて、国家主義の一部はこういう面からきているのではないかと感じました。 

 さて、展示室にはコレクターが集めたであろう大量の古書が圧巻で、『国民之友』の本物も初めて見ましたし、直筆のノート、書簡、色紙、実際に使用していた道具類、など資料が充実していました。
 なかでも盧花が大逆事件の際、幸徳秋水の刑に対して天皇へ宛てた墨書き巻紙状の嘆願書が最も貴重ではないでしょうか。そのままでは判読できないので訳と見比べながら読んだのですが、当時の緊迫した状況を考えると涙がでてきました。

 最後に館の方に素晴らしい資料だったことを伝え、幸徳秋水や堺利彦を読んでいることを言うと、壁にかかった写真を指して、「あの秋水庵というのは幸徳秋水から取ったのですよ」と教えて頂きました。時間がなくてざっとしか見れませんでしたが、今度は館の方に案内してもらって説明をじっくり聞きたいです。

 最近ナショナリズム本の多いなか、中公新書より米原謙著『徳富蘇峰−日本ナショナリズムの軌跡』が出ました。これも北一輝との思想の違いを説いていて面白く読みました。

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