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日々好んで読んでいる本のただの感想です。 |
第5回 正岡子規「仰臥漫録」(1927年 岩波文庫)
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正岡子規は言わずと知れた俳人ですが、三十代半ばにして重病の為に亡くなります。
『仰臥漫録(ぎょうがまんろく)』は、寝たきりの病床において書かれた日記です。 朝昼晩に食べたもの、便通の様子、来客について、俳句、スケッチなどから成ります。 特に唯一の楽しみである食事は、メニューが詳細に記録してあります。おやつに菓子パン7個だとか、夕飯に栗飯3杯だとか、 驚く程大食いです。 子規は病中にかかわらず俳句を沢山つくっていますが、部屋からへちまが見えるため、へちまの句がよくでてきます。 私はこのへちまの句が好きです。 「糸瓜ぶらり夕顔だらり秋の風」 「病間に糸瓜の句など作りける」 「物思ふ窓にぶらりと糸瓜かな」 「秋風や糸瓜の花を吹き落す」 「糸瓜さへ仏になるぞおくるるな」 そのほかに、つらつらと思ったことが書いてあって、病人の心が推し量られます。 今年の夏馬鹿に熱くてたまらず 新聞などにて人の旅行記を見るときわれもちょいと旅行して見ようと思ふ気になる それも場合によるが谷川の岩に激するやうな涼しい処の岸に小亭があつてそこで浴衣一枚になつて一杯やりたいと思ふた 『二六』にある楽天の紀行を見ると毎日西瓜を食ふて居る 羨ましいの何のてて 去年の誕生日には御馳走の食ひをさめをやるつもりで碧四虚鼠四人を招いた。 この時は余はいふにいはれぬ感慨に打たれて胸の中は実にやすまることがなかつた。 余はこの日を非常に自分に取つて大切な日と思ふたので、〜 死は恐ろしくはないのであるが苦(くるしみ)が恐ろしいのだ ただ考へる ただ考へるから死の近きを知る 死の近きを知るからそれまでに楽しみをして見たくなる 楽しみをして見たくなるから突飛な御馳走も食ふて見たくなる 天下の人余りに気長くゆうちょうに構へ居候はば後悔いたすべく候 天下の人あまり気短く取いそぎ候はば大事出来もうすまじく候 われらも余り取いそぎ候ため病気にもなり不具にもなり思ふ事の百分一も出来もうさず候 しかしわれらの目よりは大方の人はあまりに気長くと相見え申候 15年前に病気の為、亡くなった祖父の胸中もこのようなものだったのだろうかと考えました。 |