日々好んで読んでいる本のただの感想です。
第7回 幸徳秋水「基督抹殺論」(昭和29年 岩波文庫)

 幸徳秋水(こうとく しゅうすい)は、天皇の暗殺を企てたとして「大逆事件」で処刑されました。 中江兆民を師と仰ぎ、黒岩涙香主宰の『萬朝報』の記者生活の後、堺利彦らと『平民新聞』を発刊し、 社会主義〜無政府主義の思想を広めました。この本は、獄中でも書いていたという秋水最後の文章です。 明治44年、処刑後8日目に出版されました。

 神・宗教の否定という唯物史観の立場から書かれており、用いる文献は多岐に渡ります。 そもそも、この頃の人は勉強家で、監獄の中でも書物を取り寄せて勉強するのが当たり前のようになっています。 その書物も英語は勿論、仏語、独語などで書かれたものまで読みこなすのです。

 古来よりの歴史書、百科辞典等を引用してキリストが史的に存在しないことを証明し、 聖書の矛盾をつき、キリスト教の教義とプラトンなどの思想との共通点を挙げ、 生殖力を崇拝することによる太陽崇拝と生殖器崇拝によって十字架は生殖器を示していることを言う。 たたみかけるような論旨でキリストの存在を否定しています。

 面白かったのが、キリストの様な人物は昔から沢山いたと伝えられるという次の一例。
マリヤが離婚してパンテラという軍人との間に子を産んだ。その子は貧困のため、手品師と交流して奇術を習得してメシヤと名のった。そのいわゆる奇跡は奴隷、婦人、小児等の前にのみ行った。

 この本は検閲を受けましたが、条件つきで発禁処分は免れたそうです。 当時は知識人や社会主義者にも支持の多かったキリスト教ですが、これに反対する国粋主義への流れのなかで、 反キリスト教を論じているので問題はないだろうとのことだったようです。

 『基督抹殺論』の結論としては次のようなものです。
「基督教徒が基督を以て史的人物となし、其伝記を以て史的事実となすは、迷妄なり。虚偽也。 迷妄は進歩を妨げ、虚偽は世道を害す、断して之を許す可らず。即ち彼れが仮面を奪ひ、扮粧を剥ぎて、 其真相実体を暴露し、之を世界歴史の上より抹殺し去ることを宣言す。」

 しかし、この結論の裏に流れるもの、すなわち秋水が一番言いたかったことは、次の一文に表現されていると思われます。
「新約書の教訓が、如何に霊に偏して肉を軽んじ、望みを死後に懸けて現在の事に冷淡ならしめ、無抵抗を美徳とし、 貧窮を幸福とし、神の奴隷たるを誇りて、人類の勇気と自尊心を沮喪せしむるかを説かざる可し。 而して又其実行を責むるや、常に威嚇的、命令的なるを云はざる可し。」

 これはそのまま当時の社会への抵抗、一切の権力を否定する無政府主義の思想となっています。 岩波文庫巻末の専門家による解題(素晴らしく、これだけでも勉強になりました)によれば、 秋水はキリストに投影して、天皇制への批判、権力への批判を暗示しているという説もあるようで、 それをふまえて読んでいくとかなり興味深いのです。

 秋水は『基督抹殺論』を書いた後、日本の歴史についての本を書くための構想を練っていたということです。 これは完成していたら、秋水を代表する大著となっていたに違いありません。 是非とも読みたかったですが、ただただ惜しいとしか言い様がありません。


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