このコーナーでは、ポーランドが生んだユニークな作家(兼画家)ブルーノ・シュルツの作品を紹介してゆきます。私の拙い文章でどれだけシュルツ作品の魅力をお伝えできるかどうかわかりませんが、おつきあいいただければ幸いです。なお、文中の引用はすべて新潮社の「ブルーノ・シュルツ全集」(工藤幸雄訳)からのものです。
第8回 シュルツの最後

 映画「戦場のピアニスト」を観ました。
 主人公が第二次大戦中のポーランドのユダヤ人、芸術家ということで、シュルツもこのように戦争を体験したのだろうか・・・と想像しつつ観ました。
 観ていて一番辛かったのは、主人公が隠れ家にひそんでいるとき、そこにピアノがあるんだけど音をたててはいけないので弾くことができない、というシーン。シュルツもナチスによって生家を追われて、ゲットー居住を強制されたとき、すでに芸術家としての生命は終わっていたのでしょう。

 映画では、芸は身を助ける的なエピソードを経て、主人公は戦争を生き延びることができました。シュルツも絵が描けるということで重い強制労働を免れた時期もあったのですが、1942年、50歳のとき、銃弾2発を頭に受けて亡くなりました。虫を殺すのもためらう心優しいひとのあまりにむごい最期です。
 遺体は友人の手でユダヤ人墓地に葬られましたが、戦後墓地は取り壊され、現在は住宅団地が建っているそうです。

 イディッシュ語でユダヤ人街を意味する「シュテートル」という言葉は、現在、ポーランドの外来語辞書には載っていないそうです。
 数百年の歴史と独自の文化を持つ街が、その名称ともども消えてしまう・・・戦争が奪うものは大きいと感じます。映画を観た後、友達が「ブッシュに観せてやりたい!」と言っていましたが、本当に世界中の指導者たちに観てもらいたい映画でした。

 「ブルーノ・シュルツ全集」の解説編にアントニ・スウォニムスキという詩人の詩が引用されているのですが、シュルツが生きた街(そしてシュルツとともに失われた街)もこのような場所だったのでしょう。
 
 もはやあれらのシュテートルはない、靴造りが詩人であり 
 時計職人が哲学者、床屋が吟遊詩人であった街
 もはやあれらのシュテートルはない、吹く風が旧約の聖歌を
 ポーランドの歌や、スラブの悲哀と結んだあの場所は
            「ユダヤ人シュテートルのエレジー」


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